■白藤学史(大阪市)■
調体和塾“い座”代表
〜整体への道は自己実現への道〜

◆整体修行の心意気

 「一度言った事はニ度と言わん」総合整体学院 阿倍野校に入学を決めた時、先生の□から放たれた。チビリそうになった。初めからガチガチに緊張しながら話を聞いていたにもかかわらず、さらに追い込みをかけられたのである。 しかし、わりとすぐに元のガチガチの緊張状態に戻った。当たり前の言葉だから。物事を習うという事は、整体に限らず、先生から送られて来るものを、なるべく多く受け取る事だと思っている。
 技術や知識だけでなく、仕種、雰囲気、目指している事、物の考え方、思想、行動。これらの事は授業の中だけでは分からない事も多く、道で見掛けた時や、雑談、教えて頂いている事とは全く関係の無い集まり等で出て来る、その全てを観る。
 もちろん、全部吸収できるわけではないし、自分に合わない事も有るが、とにかく、一度受け取り、感じる。そう、伝統芸能や職人等の徒弟制度である。学校説明の終りに言われた言葉がある。 「学校という制度化された状態では伝えきれない事がある。そういう事も伝えて行きたい」

◆ 見えない大きな力に導かれて整体の門に入る

 「手技療法の技術は山程ある。表面に見える技術を求め、身に付ける事も大事だが、もっと根本的な事を学んで欲しい」 初めての授業を受ける時、この言葉が飛び出した。無器用な私にとって、少しホッとしたが、同時に、それが掴めなければ、何も出来ないのだ、という恐怖と気合いが入り交ざった複雑な思い。そして、そういう事を教えて頂けるという嬉しさ、が一気に押し寄せて来た。この学校に決めて正解だと確信したのは、早くもこの時であった。
 やっと整体の道に踏み込む事が出来た。元々なりたかったのは理学療法士であるが、その時から考えると、約二十年掛かった事になる。小学校三年生の頃、父が交通事故に遭い、病院で行われているリハビリテーションの事を知った。実際に行なわれている所を見た記憶は無いが、その時に理学療法士という仕事を知り、強烈に惹かれたのは覚えている。小学校の卒業文集で、将来の夢として。“理学療法士”とハッキリ迷う事無く書いていた。
 その後、理数系の勉強が苦手で挫折するが、すぐに体への興味を取り戻す事になった。パントマイムと空手をやり始めたのだ。それぞれのきっかけで出合い、全く関係無いと思われた二つが、年月を経るにつれて重なり始めた。体の部分部分を意識する事、それを別々に、あるいは繋がって使う、体の軸を作る、体重を動かす、遠い所から動く等、それらの事で美しい動きになり、筋力の少ない者に力が出る。そう考えるようになっていった。昔から苦手であった運動の概念が変化し、自分にも動きの可能性を感じられるようになって来た。この事が体を改めて見つめるきっかけとなった重要なポイントであった。
 そしてもう一つ、この頃、大きな出合いが待っていた。大学の空手部で、OBの方と接する機会が度々有り、その人は、強烈な“我”を発する事無くそこに存在していた。阿倍野校のO先生であった。 
 大学卒業時、あるOBの方に「整体をやりたい」と話した所、先生に話を通してくれた。しかしその頃、まだ学校を立ち上げていなかった。他の学校の資料を取り寄せたり、施術院に話を聞きに回っていたが、「これだ」というものが無く、生活のために就職した。整体の道をあきらめて毎月の給料でコツコツ生活をしようかと思ったが、堪えきれなかった。
 営業の車の中でFMラジオから流れる音楽を聞きながら、ネクタイを締めて運転している、バックミラーに写った自分の姿を見て「何をしてるんだろう」時間が無駄に消費されている様に思えた。再び先生の下を訪ねた。その頃は学校を始動させていた。話を聞き、踏み込む決心をした。学校選びは全く迷う事が無かった。
 整体の技術や、現在、先生が啓蒙活動をしているホリスティック医学の事などは良く分からなかったが、物の見方、考え方が、今までパントマイム等の身体表現活動や、空手や武道を通して自分なりに作って来た思想と驚く程似ていた。先輩という関係が有っても、合わなければ入学はしないという気は十分持っていた。 しかし、それは不要の物となった。そしてこの場所が自分の来るべき所であったと実感した。
 奇しくも、入学前、私が体に目を向けるきっかけとなった父が他界した。私にこの道を知らせ、導いてくれるために生を受けたかの様に。思えば、父の事故を含めて、運動が苦手であった事、理数系が不得意であった事、受験に失敗、パントマイムを始めた事、大学入学して、空手部に入った事。失敗やコンプレックスも、何かーつが欠けても、違う方向へ行っていたのに。全てが整体の道へ入るため、先生と出合うために流れて来た様に思える。
 「この仕事をしていると、何か目に見えない大きな力が働いていると思う事がある」様々な場面で聞かせて頂く事のある言葉だ。

◆ 指先と受療者が一体になる。水月移写〃を求めて
 
 「自分の手が行きたがっている所を施術したら良い」と授集中に言われた。そんな事が出来る様になるんだろうかと思いなから、技術としての目標を、そこに設定した。
 「接触部分で力の量、方向を把握しろ。手で見ろ、感じろ、柔らかく使え」と同じ様な異なる言葉で繰り返し感覚の重要性を説かれた。実技の授業では基本的な押圧方法、施術コース、応用等を教えて頂いたが、その中で感覚の話しが出たり、チェックされる事は無かったが、その分、自分で“感じる”という事を忘れない様にしなければならない。常に試されている気がしていた。
 現在、施術を行なっているが、“手が行きたい所”は今だに掴み切れていない。しかし、頭で考えた事に縛られない様に気を付けてはいる。
 「硬結を取ろう・痛みを取ろう・動きを良くしよう」等と考え、意識して施術していると、どうも上手く行かない。指先に意志が乗って受療者に届けようとしている。受けている人自身が気付かなくても、体が気付いている。私の意志が押し付けられそうで反発し、受け入れてくれない。開き直って、ただ指先の感触に集中し、コリ等の物理的な物だけでなく、体の雰囲気を感じようとする体と触れている部分が、お互いに馴染んで行き、一体化する様な感じを味わおうとする。そうすると、意外と始めに意図した様な状態に変化していたりする事が増えて来た。
 施術中は、ゆったりとした時間が流れ、浮遊感に包まれる。気が付けば、施術の場としての空気が整い、一つの空間が生まれる。 舞台では同じ事をしなければならない。舞台に立つ人間と観客との間で一つの空気感が構築されなければ、いくら良い作品でも、良い舞台にはならない。もちろん共演者も、さらに音響、照明といった裏方、劇場等舞台としての場、それらが全て一つの空気感を共有する。
 そして武道でも。“水月移写”という言葉がある。水は月を写そうとして写しているのではなく、月は水に写ろうとして写るのではない。これは、意識や無意識的な領域を含んだ全てが水面の様に安定していれば、感じようとしなくても、水面のざわめきを感じ取るという事である。これは、空手の一環として武道の講習を受けるようになった時、和歌山のある武道家の先生から教えられた。
 「武道の世界では情報収集の間違いから命を落とす。相手と正確に向かい合え」と。全てが繋がった。身体機能と無意識的な領域は関わっていると実感として思わざるをえなくなってきた。 「何をするのか、明確な意識を持って施術を行なえ」とも言った。その上で囚われない様に。まだまだ違い道のりだが、“根本的な事”とは、この辺りの事かと、今は理解している。

◆ 施術者と自然治癒力

 「施術者が楽にしてあげるのではない、自分の自然治癒力で楽になるので、施術者ができる事は、そのスイッチを押すだけ」とよく、そう言っていた。
 施術者が何かをしてあげるというのは傲慢だという様な考え方が有るのを知って安心した。自分の行動が結果的に喜んでもらえるなら、それに越した事は無いしもちろん嬉しい。しかし、自分の中に、人に大きな影響を与えることができるような力が有るとは思えなかったから。 「〜してあげる」という強者的発想で、押しの強い言葉も気に入らない。ただ、年月が経てば、そう思ってしまう事になるかもしれない。これは戒めとしても理解した。
 始めは、自然治癒力は本人の力という事と、施術後指示した運動を家で行なうなどすれば、体の変化は出て来るという程度の認識で「楽になる主役はあなた自身ですよ」と言っていたが、自分で“運動する”という行為よりも、普段の生活パターンとは少し違う事をするので、刺激を受け、脳が、体が、細胞が、普段のパターンから変化するのではないかと思う様になった。
 授業では、“心・体・食”をトータルで観るようにと教えられたが、これは“体”へのアプローチからの見方である。“食”では、健康塾でバランスから考えた食事指導を、先生が上級の講師をしている総合整体学院では腸内細菌から見た食事指導を学んだ。“体”や“心”と同様、方法論として素晴らしい物だと思っているが、その上に、普段の食事を変化させようと思う、本人の決意・意志が刺激として今までの体に変化をもらたすのだろう。“心”でも普段の気持ち、考え方が変化する事による刺激が様々な変化を触発すると。
 自分の力というのは、今までのパターンを変えようと行動するための意志の力だと思えば、他人からは、きっかけを提示する事しかできないのは当然だろう。 「家庭環境等で、体の状態が改善できなくても良いという人もいる。無意識で変化を望んでいない場合があるんだ」とたまに聞く事がある。

◆ 屋号という私の思想表現

 「前期・後期が終った頃には、お金をもらえる技術を付けてもらいたい」と先生に言い放たれた。今の自分の力でお金をもらって良いんだろうかと、戸惑いながら素直に従い、たまに施術した人からお金を頂く様にし、タウンページにも載せるべく動き始めた。
 「屋号を考えなくては」まず、あまり無さそうな名前にしようと考えた。この辺に関しては浪人していた頃にさかのぼる。それまでは、他の人と同じ事をすると、何も自信を持ってやる事ができなかった。常に能力の低さを感じ、コンプレックスで固まり、受験というフィールドの中で、恨み、妬み、嫉妬、猪疑心等、負のエネルギーで満ち溢れて目は攣り上がっていた。
 それを変えたのはパントマイムであった。特に興味があったわけではなく、あまり人がやっていない事をしよう。そんな動機であった。
 作品を作ると、今までとは違い基準が明確でなく、意外に評価される事もあった。勉強、音楽、運動、何一つ得意な物がなく、苦手な事だらけで今まで生きて来て、初めての経験であった。
 変わった奴という印象がつき始めたが、周りの目は気にならなくなっていた。それからは本流を避けて自分で考え、変化をつけた事を選び始めた。
 そういうわけで“〜整体院”というのは避けたかった。そこで、舞台活動で、まいむ集団“い座”という団体を立ち上げており、同系列の名前にしようと思った。整体に留まらず、身体表現を含めた身体活動全般を視野に入れていたからだ。
 健康塾から。“塾”の一文字は頂くつもりで頭に有った。武道の考え方から“和”という言葉を取り入れた。読み方を少しひねって“やわら”とした。調和の“和”。ひらめいた。
 “整体”という言葉の響きが、どうも気に入らなかったが、近い言葉ができる。体の調律で“調体”。どうだろう? 調体和塾“い座”。響きも良い。決定が!! 調子の良い体、体調。体が和む、和らいだ体、調和、和らいだ調子、どうとでも繋がる。
 先生に許可を得るため、屋号を告げた。「面白いけど何か分からん。“整体”をどこかに入れたら」と返された。
 頑固な私は、そのままつっ走った。先生の言葉に初めて背いた。“守・破・離”の“破”に片足を踏み込んでしまった。まだまだ“守”の段階なのに……。

◆ いつか師匠、先生、先輩を超えて恩返し

 「Oの弟子だと言ってもかまわない」阿倍野校の前期・後期を終了した後、総合整体学院の上級へ編入し、その認定が終わった時、私に向かって言ってくれた。
 独立した今も怒られ、打ちのめされ、技術は直され、刺激を受けている。師匠が思う様な弟子には育っていないだろう。私は目標に向かって真直ぐに猛進する人間ではない。寄り道をしながら、無駄に思える事も見て行きたい。軸になる事に戻った時、本当に無駄になるか、強力な力になるかは、本人の思考次第であると思っている。
 総合整体学院の卒業証書を頂く時、話す機会を与えられ、大口をたたいてしまった。しかし今回、今だに師匠の姿が指先にも引っ掛かっていないにもかかわらず、この機会にもう一度、同じ事を言ってしまおう。
 「師匠を始め、ご指導頂いた先生方、先輩方に対して最高の恩返しは、恩を受けた方々を越える事だと思っている」。最後は、この、私自身の言葉で締めくくる。