梅雨時は要注意 倒れる人が多い時期
気圧が下がったり、湿度の高い頃は救急車の出動が多い時期です。
13日、金曜日20時5分 蕎麦屋でおでんとビールを注文して、お疲れ様の乾杯をした瞬間、予期せぬ事態の始まりでした。
ビールを飲む瞬間、目の前でH氏が突然倒れかけました。
とっさに体を支え、そのまま床に寝かせました。
意識はありません。
瞬間、痙攣か脳出血だと思い、救急車の手配をお願いしました。
脈はしっかりとして、呼吸もしていますが筋肉の収縮はありません。
折り返し救急隊員から電話が入り、状況の説明をして「くも膜下出血」の可能性が高い事を告げました。
通報から救急車が来るまで約15分。
救急隊員が着く頃に意識は回復しました。
意識回復したことにより、救急隊員は「それほど重症ではない」と判断したようでした。
救急車に乗ったのが20時30分。
それから病院探しです。
次々に断られて、やっとK病院にきまりました。
しかし繁華街の狭い道で大渋滞。
病院を探す間になぜ先に繁華街を抜けないのか?と疑問に思いました。
しかも病院までの長時間、ずっとH氏に手足を動かす様に言います。
H氏も頭を上げて私に「すみません。すみません。」を繰り返します。
私は「いいから寝てろ」と3回いいました。
H氏は頭痛を訴えていました。血圧も高かったです。
21時前、やっとの思いで病院に着き、救急隊員は帰りました。
しかし救急隊員の説明で、救急センターには重症との認識は無かった様です。
救急センター外の入り口のドアが壊れて閉まらなくて、「寒い、寒い」とH氏の声が聞こえました。
「何か掛けてあげれば良いのに」と思いました。
覗いてびっくり(上半身を起こして着替えをさせています。服はH氏が自分で脱いでいます。腕時計やネックレスも自分で外しています)
落ち着いた雰囲気でストレッチャーに乗って検査室へ向かいました。
検査室から看護師さんが出てきた瞬間、状況が一変しました。
なんと検査中にまた再出血を起こして、意識を失い危険な状態になっていました。
看護師さんの本音「せめてもう少し早かったら」の声が
K医師から説明を受け大変危険な状態で、手術についての説明を受けました。
病名「破裂脳動脈瘤、くも膜下出血」
手術名「動脈瘤コイル塞栓術」出血を止める。
「脳室ドナージ術」出血した血液を排出する。
次に破裂したら命がないため開頭手術は不可能
動脈瘤コイル塞栓術でも破裂の危険はある。
止血できるかはやって見ないとわからない。
K医師の説明を聞いて、テキパキとした処置(検査)、説明と私の直感で「この先生は信頼できる」と思いました。
H氏は87歳のお母さんと二人暮し、私が決めるしかありません。
「全て先生にお任せします」とお願いしました。
22時50分 H氏の同僚T氏が駆けつける。
23時30分 手術開始
とりあえずH氏のお母さんに電話をし、自宅まで説明に行く。
気丈な人なので、しっかりと状況を受け止める。
病院にもどる。
H氏の上司M夫妻が心配そうに座っていた。
手術は朝までかかるかも知れないと看護師さんに言われていたので不安な時間を4人でじっと黙って過ごす。
午前1時前、看護師さんが慌ただしく出て行き戻る・・・不安がつのる
午前2時前、動脈瘤コイル塞栓術を施した先生が退室する。
「出血は止まりました。私の役割は果たしました。後はK先生の役目です」とおっしゃって下さいました。
看護師さんも落ち着いた雰囲気に変わりました。
午前3時30分に全ての処置が終わりK医師の説明を聞く。
K医師・・手術は成功したが術後2週間程、血管攣縮(血管の収縮)の度合いが酷ければ危険な状態になる
午後2時お母さんを連れて病院に行く
呼びかけに対しての反応がある。
死んだら残された家族のことや、処理する問題が多く泣いている暇はない。
しかし直前の危機を乗り越えたとたん、泣けてくる。
後は何とか元気になって欲しいだけ。
昨日、H氏の友人に聴いた言葉。
2週間程前にH氏曰く「頭の中でピキッという音がした」
その時から微量の出血があったのかも?
職場でも1週間前から「しんどい」と言っていたらしい。
でも、結果的に良い医師にめぐり合えて、ただ「感謝、感謝」。
井草